2005年 10月 21日
Mas vale tarde que nunca.(その2)
前回は、「遅きに失することはないので、何でもやりたければやれば良い」という趣旨であり、それで良いと一旦は納得していたものの、やはり修正が必要。目的達成を追求しない物事である限りにおいて、という条件づけが必要だ。
遅きに失したことを強行する人間が世にいる。共同作業であったり関係者多数と調整を要するような仕事がその典型なのだが、遅きに失すると、いわゆる「後だし」になる。「後だし」は原則ルール違反であり、却下される。期限との関係上、多数の関係者の「後出し」を認めては議論が収束しないし、いつまでたっても調整が終了しないためであり、一定の時間内に議論を収束させるためにはこうしたルールによって焦点を明確にする意義が認められる。遅きに失した論点の提出、問題点指摘はむしろ仕事の邪魔になる。人の仕事の邪魔をすると恨みを買うので、後だしをする人の仕事ぶりはまさに遅きに失しているのであり、問題点に気付いてしまったその人は、その気付きを実現する手段を失う。(無論、現実は、この後だしもまかり通ることしばしば。これは指摘された問題点に関するリスクに対する恐怖心によって、議論を少し巻戻しているものである。)
達成したい目的があるのであれば、後だしをして取り敢えずの気付いた問題点について何らかの帰結を得ることが得策なのか、それとも次の展開を読んだ上で対策を先取りして検討し、場合によっては議論をリードした方がよいのか、そちらに意識を持っていった方がよいことになる。この場合、もとに考えた問題点の指摘は遅きに失しているわけであり、遅くても指摘した方が良いということにはならない、そう私は考える。
逆説的ながら、"Mas vale tarde que nunca."が役に立つ場面は、後だしをするときであり、自分の問題点指摘には、遅きに失しても目的達成のためには絶対に検討する価値があるという主張を展開する時の前置きとしてである。しかしこれは、一緒に仕事をしている人、特に調整のハブをしている人にとってはまさに困った人となることであり、そんなときに抜けぬけと"mas vale...."とは言われたくない。その人の逆鱗に触れること間違いなしである。
遅きに失しない、というのはプライベートライフに限ったことなのであろう。再確認まで。
by danpeii
| 2005-10-21 02:17