ジェンダーと男女共同参画(その1)

今年3月に日本のODAに新しいジェンダーのイニシアチブ(GADイニシアチブ)が登場した。GADイニシアチブでは、「ジェンダーの主流化」が謳われているのだが、これは何か。「ODAのあらゆる段階でジェンダーの視点を盛り込むためのアプローチ」ということなのだが、正直のところ"So what?"という感じかもしれない。





今日、大臣の引継ぎが行われていた男女共同参画担当大臣の所管する基本法についても同じ。ご存知のとおり内閣府には男女共同参画局というのまである。新大臣は「少子化」対策の面での何か「シナジー」(どこかで聞いたような・・・)を発揮することを会見で話していたが、彼女がもう一つ担当している「男女共同参画」に私としては注目しているところである。何故か。

ジェンダー主流化と男女共同参画、これを総論で反対する人は恐らく少数派というのが現状と多くは感じているのではないかと思われる。いずれにしても過去からの条約の積み重ね、数々の国内外のコミットメント、そして法的枠組み、こうしたことから総論面でのコンセンサスはあるのだということのようである。総論賛成(そしてそれに続く「各論反対」)という言い方はともすれば良く使われるが、総論賛成という表現が単に各論反対を隠すために使われる場合と、各論ではまとまらないから、総論で反対しても「抵抗勢力扱い」されるだけなので、総論賛成ということにしているという場合がある。ジェンダー主流化と男女共同参画における「総論賛成」については、これは後者なのではないかと疑っている。

決して公式見解でもないし、主流とされる議論でないことを重々承知の上で、個人的に懐疑的な気持ちを抱いている理由は以下のとおり:

1) ジェンダー主流化や男女共同参画が究極的に目指しているものが複数あるが、その中心的課題は結局「女性の人権保護」にあるということのようであること。いや、男性と女性の人権の同質的保護ということにあるという方が正確かもしれない。男女差が存在しないようにするということなのかもしれない。しかしながら、性差は厳然として存在し、性差に伴い、生物としての継続性を維持する上での役割分担は自ずと必要とならざるを得ないのではないかと思っている。にもかかわらず、性差が存在しないかのような方向を目指すというのは矛盾している。
※無論、これは女性の社会での活躍についての機会が奪われるべきことも、選択権が奪われるべきことも意味しない。かなり限定した議論にすぎるのかもしれないが、あくまでスローガンとして「ジェンダー主流化」「男女共同参画」を掲げることの耳障りのよさとうらはらにある矛盾した問題について書きたいと思っているものです。

2) 開発援助におけるジェンダー主流化の中では、当然開発途上国における現状の問題として、女性のほうが圧倒的に貧困にあえいでいるとともに、開発の犠牲になっている現実が歴然として存在することがあるため、まさしく女性の地位向上なくしては貧困削減は夢のまた夢ということになる、という主張は全く正しいし、開発のアジェンダの中で高いプライオリティが与えられることは重要である一方で、それは即ち、女性のエンパワーメント、女性の途上国における地位の変化に結びつき、社会構造・習慣の変化に結びつかざるを得ないということを含んでいることに注意が向けられなければならない。マルサスを持ち出すまでもなく、女性の教育向上・就職は女性の晩婚化を促進することになり、ひいては少子化を達成するこに有効な手段であると見ることは出来る。人口問題として取り上げることは道徳的に受け入れられないことが原因なのか、私にはジェンダー主流化の強い推進力の背景には途上国における人口問題、地球の人口爆発の問題への重要なアプローチとしての位置づけがあるのではないかと思われてならない。

3) 他方で、少子化が社会問題化している日本においては、男女共同参画が一層の少子化に繋がらないように工夫されることが必要なのであり、男女共同参画はもはや人権の問題ではなく、むしろ少子化の問題にまさしく男女が共同して取り組むということに他ならない。女性の人権の問題については、別の問題として取り扱うことが政策的には整合的なのではないかと思われる。

4) また、少子化につづき、労働資源の確保の観点からも、人口の半分(ジェンダーの片方を想定)の能力を開発せずに放置し、1/2のリソース投入のみに依存するのは非効率なので、共同して参画せしめることが得であるという議論がこれに続くのかもしれない。つまり、人口が増加傾向にあった際、女性が子沢山であった際、女性がまさに子育てなど主婦業に専念しているのが効率的であったが、人口が減に転じる中、女性が主婦業にのみ専念しているのでは逆に非効率であるとして、女性が新規労働市場として注目されたが、これが十分に開発されるためには男性の役割転換が必要となるため、「男女共同参画」がスローガンとして掲げられたのではないかと思うものである。

しかしながら、実際には、ここが、私なんかが典型であるところの、ジェンダー問題や女性の人権の問題に対する認識の弱い人々から出てくる「ジェンダー」という言葉の共通性だけでものごとをくくる発想に対する服従である。開発途上国における貧困削減の問題としてのジェンダー主流化を男女共同参画基本計画における地球規模問題への対応策として含めこんでしまっているのである。これによって、基本計画は単に「ジェンダー」という言葉がつらつらと共通文句として並んでいるだけの、「何のための計画なのか」が分からない代物となってしまったのではないかと思っている。複数の目的がぐちゃぐちゃに概念整理されることもなく、スローガンだけが一人歩きしている状態では、男女共同参画による一層豊かな社会構造というのは作り上げられないのではないかと思うのである。

(私案として、また、未定稿;コメント歓迎)
by danpeii | 2005-11-02 02:19 | 開発援助

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