男女共同参画とジェンダー

27日,第2次の男女共同参画基本計画が政府によって閣議決定された。この際,ジェンダーフリーではないことが明記されたということが複数の新聞社によってキャリーされていたことが特に興味深かった。なかでは,この基本計画について,そもそも「男女共同参画反対」を叫ぶ国会議員もいたという話もあり,苦笑してしまうところもあった。それは,私がこの間有楽町の駅前でみた「男女共同参画粉砕!」(そうそう,「反対」ではなく「粉砕」でした。)と同じではないか,と。男女差がそもそもそも「difference」として存在しないかの理解は全くおかしいというのが,男女共同参画を謳えば謳うほどに社会に浸透してきているように私は感じており,そのこと自体は非常にまともな反応であるように思う。みれば分かるとおり,「同じ」ではないのだから。



話は逸れるが,別に私はこの大臣が好きではない。適任ではないと思うし,むしろむしずのようなものが走り,出来れば別の方にやってほしかったと思う人間である。同じチルドレンの中から選ぶのであれば,むしろ選挙公約において少子化の問題について取り組むことを主張していた別の方にやってもらった方が良かったのではないかと思うが,別に政治的主張を行なうことが目的ではない(単に「my opinion」を人目にさらすことによって,ネチズンの方々を他山の石として自らを磨きたい)ので,憂国の思いからぐちぐちいうのはここあたりまで。

で,男女共同参画なのであるが,これは粉砕するまでもなく,男女共同参画の追及は実は既に崩壊しているのではないかとどうしても思われる。これはジェンダーの問題が開発の課題として存在しないということも意味しないし,男女差別(すなわち人権の平等が機会の均等においてきちんと達成されていない)ということを否定するものでもない。「女だから」という理由で,本人の希望を無碍にすることが適当さを欠き,社会の半分の人に無力感(絶望感)という大きな害をもたらすものであることは間違いないと思う。しかし,男女共同参画は崩壊しているのである。なぜか。男女共同参画という言葉のもとにいろいろなことを包摂し過ぎたためであり,この新しい用語の社会的浸透をはかる目論見が外れたためであると思う。私個人的には男女共同参画という言葉を理解することは出来ないわけではなかったのだが,「so?」という印象をいつも禁じ得ていなかった。なんのために男女共同参画なのか,と問うとき,100人から100とおりの回答がくるなんて,あまりにもおかしい,手段として成り立っていないのではないかと思ったものである。なんのための男女共同参画か,というとき,もう少し明確な回答がなければならないと思うのである。(第2次基本計画の文面を見て,まじめに共感出来る人がいれば,是非説明をきいてみたい。)

私が思うに,男女共同参画の目的としてひとつ共有されつつある目的は少子化対策ではないかと思うのである。男女共同参画社会の実現と少子化対策のどちらが重要かと言われれば,おそらく大半の人間は少子化対策であると認識しているのではないかと思うのである。むろん,女性に負担をしいる露骨な少子化対策という概念を打ち出すことについては,大幅な反発もあると思われるし,少なくとも一定の範囲において女性の選択の自由についての選択に対し,単純な男女共同参画推進よりはインセンティブづけの面において,ニュートラルではない政策を推進することになるのではないかと思うのである。でも,それで良いのではないかと思うのである。等しいものは等しく,等しくないものは等しからざるように取り扱うのが原則であれば,無理矢理男女が等しいものであるように政策形成をしていくというのはおかしいと言ってもいいのではないかと思うのである。男には子供が産めないのだから。

では,どうして少子化が問題なのか。私の場合,単に将来借金を払うと思っていた世代が存在しなくなったとたんに,日本の債務持続性がないという問題が先鋭化するのではないかという不安に発端を有する。急に減るのは極めて良くない。ただし,日本の国土を考えたとき,適正な人口というのが仮に存在するとすれば,もしかすると,食糧自給やエネルギー確保を考え,その上で社会全体として最大限の福祉を享受しながら持続的に推移するためには,現在の水準よりは少ないものであっても良いという発想はあり得るのではないかと思うのである。しかし,その選択をする前に,我々は借金をなんとかしなければならないと思うのである。(ちなみに,将来世代の支援を廃止することにより,借金を減殺できるのであれば,それはそれでひとつの選択であるから,少子化対策不要という議論は可能だとも思うのである。しかし,この場合,この議論は世代間の公平性の問題であり,往々にして今いる世代が優位にたち,これから次世代を育てていこうとする世代の意見は,弱者という理解がなされず,まじめに取り合ってもらえないところにどこかに日本の政策形成において「老害」が発生しているのではないかと苛立たしい気持ちになるのである。)

仮のまとめ(2005年)を行なえば,男女共同参画社会というスローガンについては,いっそのこと止めてしまい,ここの分解した課題別に再構成するべきではないかと思うのである。
by danpeii | 2005-12-27 22:30 | 個と社会

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