Mas vale tarde que nunca...:西班牙語2006-02-01T13:38:16+09:00danpeiiマイペース、お気楽、ノン・タイムリー日記Excite Blog罵詈雑言についてhttp://danpeii.exblog.jp/3120063/2006-01-27T22:20:00+09:002006-02-01T13:38:16+09:002006-01-31T23:49:22+09:00danpeii西班牙語罵詈雑言辞典というのを買った。悪態をつくのも正しい日本語で上品に。すばらしい発想である。しかし日本語というのはこんな辞典でもつくらないといけないほど罵詈雑言が少ない。いや、少ない訳ではないのかもしれないが、上品である。悪態を上品にしかつけないのである。Dr.スランプでは「ばーか、あーほ、お前のかあちゃんでべそ」という悪態があったが、小学校3年生くらいまでの私はそれが最大級の悪態であったため、北河内の某小学校に転校してきた初日に「ぼぉけぇっっ!」と男子(だんし)に対して罵るクラスメートの女の子に遭遇し、相当な驚きとカルチャーショックを感じたのは未だに記憶に古くない。
これに対して外国語には悪態が多々あるが、私の愛するスペイン語は悪態を多用する言語の一つではないかと確信している。特にこの悪態が極めて下品なのである。いや、スペイン人にとって下品なのではなく、上品な悪態しかつかないわれわれからすれば極めて下品なのである。たとえば、トム・クルーズがInside the Actors Studio(邦題「アクターズ・スタジオ・インタビュー」)という番組に出演していたとき、もっとも好きな罵詈雑言として挙げたのは「joder」であった。トム・クルーズとスペイン語のかかわりについては詳しいわけではないが、おそらくペネロペ・クルスと共演したバニラスカイで覚えたのではないか、などと想像を働かせてしまう。マドリレーニャのペネロペ・クルスはこれを連呼したに違いない。ところで、その番組でインタビューアーが、これはどういう意味かと問うたところ、トム・クルーズは「それはjoderでしかない」ということで、会場にいたコロンビアからの留学生(この番組は一応授業の一環となっている)にトム・クルーズがどうかと問いかけた。彼女(無名)も「joderはjoderだ」としか言わず、politeに対応していたが、これは一面真理をついていると思われ、joderはjoderでしかない。
国によって差はあるのだが、私が初めてスペイン語を学んだメキシコでは先ず使わない罵詈であった。(だから、一般に言われるjoderを仮に使ったりすると物凄く激しい言葉となる。)しかし、上記のとおりスペインでは、老若男女、何の悪気もなく、そして全くの意味もなく、ただ文章に感情をこめるために連呼する。
とにかく、スペイン語の罵詈雑言は非常にリズミカルなせいか、ファンが多いようである。(Wiki英語の”Spanish Profanity”は秀逸)。なお、通常マッチョとの組み合わせも多い。「joder, macho」と続けていう。ホデールマッチョ、と呼びかけてから相手の会話に合いの手を入れるので、大阪でとりあえずつっこみの「なんでやねん」と言ってから続ける芸人の合いの手と似た役割があるのかもしれない。こうしたスペイン語の罵り言葉を調べてみたら、以下のサイトにめぐり合った。
a todo dar: スペイン語にまつわるいろいろなお話をつらつらと。(秀逸)
Vida en Japon: 全く関係ないが、スペイン語で日本文化を紹介している便利なブログ発見。この人すごい!と思ったらさっすがJTB。早速リンクはっていた。(秀逸)
ラテンマニュアル: こちらも情報満載で面白い。
因みに一層関係ないが、いろいろと検索していたらSt. Joder Day(8月16日)なんてある。ゲ。なんだこりゃ、と思っていたら、そうそう「J」は「Y」と同じ音として取り扱われるところがあるので、ドイツ語の「J」が英語の「Y」として発音されることから、英語ではYoderと書くということ。ヨーデルはスイスの苗字だという(cf.ヨーデル食べ放題)。St. Theodoreの短縮形に語源があるということ。米国では、キリスト教再洗礼派の一派メノナイト派(非暴力・無抵抗・徴兵忌避)に多い苗字ということらしい。ふむふむ。(wiki情報でした。)]]>Mas vale tarde que nunca.http://danpeii.exblog.jp/2355210/2005-10-20T01:18:25+09:002005-12-06T01:49:25+09:002005-10-20T01:18:12+09:00danpeii西班牙語 ついついベストなタイミングはこれだろうなぁ、と考えながら、そのタイミングを諸般の事情によりを逸してしまう。タイミングを逸するとだれしもバツが悪くなり、アクションを起こすことが億劫になりがちである。そんなとき、この諺が生きる。一回っきりの人生なのだから、マイペース、マイペース。タイミングや流行を逸していても、やったほうが良い、チャレンジしてみることは常に価値がある(遅きに失することなし)。