携帯電話と電車

携帯電話に熱中している乗客の様子はひところは日本人を揶揄する格好の対象となっていましたが、今ではすっかり各国に広がったシーナリーとなったのではないかと思ってみたりしている今日この頃です。

携帯電話に乗客が熱中するおかげで、思わぬ副産物を今日は発見してしまいました。それは携帯電話の魔力。携帯電話のメール打ち(?)等に熱中しながら立っている乗客は、席をたった乗客に気付くのが遅いということです。まぁ、立っている苦痛を忘れるためにも携帯電話に熱中しているわけですから、自然のなりゆきなのでしょうが、携帯電話に夢中ということより、読書に夢中、ということの多い私は、時々同じ目にあったりしますが、でも携帯電話ほどではないように思うわけです。携帯電話に熱中されているかたはのめり方がとても激しく、おかげさまで、空いている席にそろりそろりと近づいても一向に座る気配がないので、こっちから座ってもいいですか?と聞いてしまう始末。既にそう相手に聞かれてしまって不意をつかれた携帯電話熱中時代の人は往々にして座席獲得権を譲ってくれるような次第だったりするわけです。

車内平和がこうして維持されるのか、と思うと、これは携帯電話の思わぬ副次的効果だと思うわけです。他方で、優先座席付近は携帯電話の電源をOFFにするように、と指示が出ているわけですが、これは全く無視されているのは大変残念。携帯電話熱中時代の人にはそんな貼り出しに気付く余裕はなく、堂々と席を確保しながら携帯電話に熱中しているような有様。こういう場合には手がビリビリしびれたり、優先座席付近では携帯電話の電源が自動的に切れるようにするなど、ここは公共交通機関と携帯電話会社で何か工夫が欲しいところ。(無論、そんな技術があっては、肝心の心臓のペースメーカーの電源も切ってしまって危ない、ということなのかもしれませんが、、、)

徒然なるままで、我ながら破壊力にかけるエントリーながら、夜もふけているので、この辺で。
by danpeii | 2007-03-07 01:48 | 個と社会

藤田嗣治

a0045621_0504982.jpg
今日はバックデートエントリー。その後日経新聞の夕刊1面でも連載されることになった藤田嗣治の作品を生で見に行って来た。展覧会を見に行くのは嫌いではないけれど、これが実に相当な久しぶりの美術館見学。少なくとも帰国後初めて。日本の美術館の空気やらは間違いなく相当な久しぶり。

年度を何とか命ながらえながら越えることができて、何か気分を一新させなければならないと思い、電車の中吊り広告でみかけたこの展覧会に「行きたい」という、あまり自分の中で発生しない不思議な欲求を感じた。好奇心だったり、欲求だったり、なにかそうした内面の自発的な心の動きには動揺させらるが、そのメカニズムはさておき、それを久しぶりに感じたのであった。そんな訳で、どうして藤田なのか、あまり分かっていない。多分、どこかで名前だけ聞いたことがあったので、気になっただけのことだったのではないかと思う。何故、名前を聞いたことがあるのか、藤田とはなにものか、そんな好奇心が湧いたのかもしれない。

さて、作品。別に絵に詳しいわけではないので、絵を見てああだ、こうだと評論する能力はない。出来ないことをここでするつもりはないが、藤田展では、物凄いエネルギーを感じとり、一つ一つの作品から見るものに流れてくるその力が体中の血の流速を変えられてしまいそうな気がした、ことだけは書いておきたい(こんなに日が経ってしまっているが)。そして、作品を生み出す過程で作者が抱いた悩みと葛藤がこの美術展では良く伝わってくるような配置がなされていたせいか、藤田が生きた道程がまさに凄かったのだと思う。世界をぐるぐると彷徨うあたり、さまよった挙句祖国を捨てることにならざるを得ないあたり、何か今を生きる日本人につきつけるものもあったような気さえさせられた。

そして、藤田という人物について。さまよいつづけて名声を獲得した稀代の名士を、日本特有の村八分的閉鎖性が藤田を排除してしまったのではないか、そんなことを思ってみた。日本特有ではないとすれば、それはそれで何か世界をさまよった人に共通する現象ということに終始するのかもしれないが、私の中にあるものは、それは日本人だからではなく、個人の問題ということになり、自省させられる。他方、日本特有であるとすれば、当時も今もその風潮に大きな変化がないことに気付かされ、所与の文化的素質として現在を生きる上での困難について考えさせられ、また、自らにそうしたところがないか、自らのそうしたところによって才能ある人を遠ざけてしまっていることはないか、懐の深い/浅いについて思いを致される。どのような形であれ、藤田の芸術は藤田とともに日本という共同体の名声に寄与したことは多分間違いないだろう。本人は自覚はなくとも、共同体につくした人と言えるのではないか。こうした人を共同体のためにつくしたとみなせないならば、それがまさにここで書いている懐の浅さそのものということになろう。しかし共同体のために尽くす一方で、人は個人であること以上の意味はない。まさに自覚のない部分である。こうした自覚のない共同体への「結果としての」貢献と思うとき、何かそこはかと知れない葛藤した気持ちが胸にたぎるのである。藤田の作品は、胸をたぎらせる。

藤田展
by danpeii | 2006-04-02 22:48 | 個と社会

政治の透明化

今朝はasahi.comがヤフーが政治に関するトピックを作成したことについて報道していたのが目を引いた。午後発表というところを見落として、はりきって早速Yahoo!を開いて探したときは、時間がまだ午前のことだったので、未公表だったのだけれど、今見てみると、なかなか良く出来ている。本当にこのサイトのコンテンツが維持されるならば非常に価値あることだと思われた。

 Yahoo!みんなの政治
 http://seiji.yahoo.co.jp/

何故、これが価値のあることだと思うかと言えば、無論、これによって有権者全体の政治に対する関心が高められ(政治家の法案に対する投票行動についてガラス張りになるとともに、検索できるようになる)、また有権者としては、簡単に自らの政治における関心事について追加で調べることが出来るようになるということの他に、本来、政・官が「国民の政治に対する関心が下がるのは問題」と認識しているというたてまえを標榜している中、有権者としては、それならば政(たとえば国会)・官(たとえば総務省)がこうした情報を一般にわかりやすいように、関心を持てるようにいろいろと工夫して提供してしかるべきであったサービスが、民間のイニシアチブで先を越して出てきたと見ることができるのではないかと思われるからである。そして、政治に対する関心を高める、という啓蒙的な活動についても、国民のニーズに対して民間のイニシアチブにおいても十分答えることが出来るという手本を示しているところでも価値がある。(逆に、政治に対する関心を高める」という政・官のかけごえが、所詮はかけごえだけで、本当はあまり関心を持たないまま、任せて欲しいという本音との葛藤の中で、文字通り掛け声だおれであったということをまざまざと見せ付けるところがあるように思う。)

こうした啓蒙的なサイトの今後の発展は、①公平性(impartiality)、②継続性、及び③情報の詳しさにかかっているのではないかと思っている。(Googleのニュースサイトについては、私は少なくとも公平性が掛けていると思っており(日本の隣国に肩入れし、日本の国内世論に対しある種のバイアスをかけようとしていると見ている)、極めてがっかりしている一方、右との比較では(あくまでもGoogleとの比較でしかないが)、Yahoo!は現在のところ、私にとっては公平な運営がなされているように思っている。) そしてこのYahoo!の啓蒙的ポータルサイトが今後どのように発展していくのか、スピーディな最新情報の更新と内容の充実により、国民的注目の集まるサイトとして発展していくことに期待したい。

(※本記事を作成した際、風邪で不調だったためか、誤字脱字多数で見苦しかったので修正しました。)

記事の全文
by danpeii | 2006-02-22 22:38 | 個と社会

国家の品格

a0045621_026518.jpg国家の品格を読んだ。新年の挨拶で現在の職場の社長代理が紹介していたので、タイトルには全く惹かれなかったけれど取り敢えず会社の書店で購入したもの。(内容は以下に参考としてアウトラインを掲げてみた。)

タイトルは仰々しく、こういう大上段のタイトルは私を警戒させることが多いが、内容は嫌いではなかった。おそらく書いた人が数学者ということもあり、何かイデオロギーべとべとの本ではないだろうという変な安心感もあったのかもしれない。武士道精神をあがめる発想自体は特に新鮮味もなく、「ふぅーん」といったところであったが、次の3点は当たり前のようでありながら、気付きを与えてくれる内容であった。

(1) 論理と本質は別物であり、論理を尽くしても本質には辿り着くものではない。論理的であればあるほど、出発点を誤れば帰着点を誤る。
当たり前のようなこのことが、明確に言葉として心の中で意識すると、まわりの色々な人の言っていることが落ち着いて聞き取れるようになった。往々にして論理的であろうとすると、論理は正しいか間違っているかなので、出発点の問題であるにもかかわらず、論理を戦わせていると錯覚することにより、議論を誤ることがあるなぁ、と改めて気付かされる。論理によっては出発点は導かれないので、出発点について議論するときは、論理とは別の世界で議論をできるようにならなければならない。(この本の筆者はそれを武士道精神だというが、・・・)

(2) いけないことはいけないことを定式化してくれている。いけないことはいけない、これだけは絶対守ることが必要というもの、それを呪文のように心に刻み付けたいが、良い例を必要としている自分に気付かされる。紹介されていた什の掟や喧嘩のルールなど、こういう精神規範の具体例は重要。特定の宗教に帰依していない私には精神規範の探索がまだまだ課題だと改めて気付かされる。

(3) 所詮経済であるということ。経済などなくても人は存在していることはふと忘れていた気がする。恥ずかしいことだが、最近の自分を振り返るとそうである。多分、景気が上向きに回復するなか、世の空気がさわさわと踊るなか、私のマインドもどこか踊ったところがあったのだと反省されるのである。

格好良く生きるために、こうした精神規範について年頭挨拶で紹介する会社って、とは少し思うところがなきにしもあらずであった。しかし、冷や水を浴びせかけられる事件も起こる一方で、やはり景気が回復するにもかかわらず、どことなく、日本の将来を自分のこととして牽引していく意識が個人個人に根付いていないように現在を認識する人には、精神論も必要なのだろうと、少し共感するところがあったのである。


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by danpeii | 2006-02-01 00:27 | 個と社会

32年ぶり

今日、高校サッカー全国大会決勝において滋賀県立野洲高校が優勝を果たした。関西勢の優勝は32年前の北陽高校以来。北陽高校は私立だが、野洲は県立高校。どうやって人材を確保しているのか、と思い入学案内をみると推薦入学がある。でも、推薦入学といっても私立ほど手厚い保護も待遇も期待できない中、やはり将来性のある生徒を集め、実際に夢を実現させる学校の勢いには感動できる。(京都新聞の記事は熱が篭っていたので以下に引用)
「クリエーティブ・サッカー」頂点に 野洲、高校サッカー界に新風
「クリエーティブで見て楽しいサッカー」を掲げる野洲がついに頂点に立った。前回王者の鹿児島実に代表される守備的な「負けないサッカー」を破り、高校サッカー界に新風が吹いた。野洲はヒールパスや華麗なドリブルなど卓越した個人の技術力に目が集まるが、実はそれらに加え、練習で積み重ねた抜群のチームワークも強さを支えている。
「相手に囲まれたら『やばい』ではなく、目立つ好機と思え」。野洲の練習ではこれをモットーに、ミニゲームを重ねて技術と駆け引きに磨きをかけ、互いに工夫し合って個性を伸ばす。決勝で3人に囲まれながら、軽々とドリブル突破を見せたMF楠神は「練習が苦しいと思ったことはない。キャッキャ言いながらミニゲームをするのが一番楽しい」と話す。全体練習は毎日2時間半程度だが、その後にそれぞれが納得いくまで自主練習し、午後10時にまで及ぶこともある。徹底的にゲーム練習を繰り返すことで、自然に連係プレーも向上した。
だが、高い技術を誇りながら今季は県の新人戦、インターハイ予選とも勝ちきれなかった。技術に強さが伴い始めた転機は、野洲の選手たちが11人、県代表メンバーに入って3位になった国体だった。MF平原は「チームメートだった草津東の選手たちから、劣勢でも仲間に声を掛け続けて逆転に持ちこむあきらめない姿勢を学んだ」と振り返る。この経験から技術を超えた粘り強さを養ったことが、今大会の接戦を勝ち抜き、最後に鹿児島実の猛攻も乗り切ることができた。
守山、守山北を率いて計2度、ベスト4入りの経験がある滋賀県サッカー協会の松田保技術委員長は「子どもたちが見てあこがれるようなサッカーで頂点に立った。ユース年代の変革の契機になる」とたたえ、野洲の優勝が今後の高校サッカー界に与える影響を注目していた。(京都新聞


連想として適当ではないかもしれないが、「官から民へ」というスローガンのもとでは、どうしても重要なリソースである資金の量や配分に自由度の高い民間には叶わないと公的部門は根をあげそうになっているのではないかと想像されるが、金の自由度によるインセンティブだけが優秀な人材を確保する方法ではないということを改めて実感させる。制約条件のせいにして発想を貧困にしないよう、改めて自分を戒める。

祝優勝!野洲高校、滋賀県の皆様、おめでとうございます!
(野洲出身の旧姓K本先輩、おめでとうございます!!)
by danpeii | 2006-01-09 23:36 | 個と社会

今朝の日経新聞朝刊2面の片隅にこんな記事があった。
性別差別防止へ研究会
内閣府は「社会的性別」(ジェンダー)による偏見や差別をなくす政策の理解を深めるため自治体向けの研修会を全国で始める。男女共同参画基本計画などで示してきたジェンダーの考え方について「行きすぎた性教育などの一因になっている」との批判が自民党などから出ているのに対応する。まず7日に金沢市で開き、猪口邦子男女行動参画担当相が出席する。


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by danpeii | 2006-01-04 22:00 | 個と社会

31-2

前回書き終わらなかった決意表明。(流石に年は越したくない。)

「タバコとの縁を切る!」

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by danpeii | 2005-12-30 13:29 | 個と社会

27日,第2次の男女共同参画基本計画が政府によって閣議決定された。この際,ジェンダーフリーではないことが明記されたということが複数の新聞社によってキャリーされていたことが特に興味深かった。なかでは,この基本計画について,そもそも「男女共同参画反対」を叫ぶ国会議員もいたという話もあり,苦笑してしまうところもあった。それは,私がこの間有楽町の駅前でみた「男女共同参画粉砕!」(そうそう,「反対」ではなく「粉砕」でした。)と同じではないか,と。男女差がそもそもそも「difference」として存在しないかの理解は全くおかしいというのが,男女共同参画を謳えば謳うほどに社会に浸透してきているように私は感じており,そのこと自体は非常にまともな反応であるように思う。みれば分かるとおり,「同じ」ではないのだから。

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by danpeii | 2005-12-27 22:30 | 個と社会

先週末、土曜日に映画の封切に初めて行ったことを書いたところだが、丁度数寄屋橋マリオン前でウヨク団体のアジテーションに出くわした。私は数寄屋橋阪急を愛用していることもあり、この界隈をよくウロウロするのだが、例のマリオンと西銀座デパートの間の場所に、この日もウヨク団体が陣取っていたのだ。

これまで良く出くわしたのはヤスクニの問題とホッポーリョードの問題についてアジテーションをするものであった。これらについては、私も考えるところはあるが、正直真面目に彼らの議論に耳を貸すこと自体バカバカしいほど、安直な議論を怒声のもとでぶっていることもあり、まったく私としては騒音以上の感想を持ったことはなかったのだが、この日は「男女共同参画反対」がアジテーションの内容だった。あまりに目新しいアジテーションの内容であったことと、大真面目に総論反対をぶっていたところに軽い衝撃を感じてしまった。男女平等・同権は既にエタブっている以上(オトナ語ですかね)、何かそれをチャレンジする姿勢に時代錯誤のようなものを感じてしまったのだけれど、それを臆面もなく大声でアジテーションするところに、この時代の教養人であれば、躊躇するところを、まさに臆面もなくやっていたところに新鮮さを不覚にも感じてしまった。

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by danpeii | 2005-12-20 01:29 | 個と社会

封切ミターーッ!!

全然日記になっていない。土曜日の昼、他用あって有楽町に出かけたところ、映画を無性に見たくなり、当日封切であった「男たちの大和」を見てきた。

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by danpeii | 2005-12-19 02:25 | 個と社会

マイペース、お気楽、ノン・タイムリー日記
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