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新妻の値段

a0045621_0522671.jpg会社の同期であったが、今は辞めて別の会社に勤める友人の結婚式二次会にボスと一緒に出席してきた。これもバックデートエントリー。年度末・年始にかけてどうにも手が動かず、何か情報発信モードに自分をかりたてるべく、遅ればせながら頑張っているところ。これこそmas vale tarde que nunca....

二次会では、会社の友人や、OBなんかも来ていて賑やかに和やかに進行し、わいわいと楽しい感じで時間が流れていった。二人はとっても幸せそう。

余興にオークションが行われた。友人である新郎の友人にギャラリーを経営している人がいるとかで、その人が発声をしていた。さすがプロ。上手。新郎新婦ゆかりのネタでいろんなものがオークションにかけられるなか(新居でのディナー招待券が1万2千円だったか、で落札されていた。無論本当のオークションと同じように、落札した人はその場で現金払い。普通だと、ゲームの商品として、来た人に振舞うのだが、新郎新婦もうかっていました。これも祝儀ということで、と理解できるくらい、品々も良いし、納得感からそんなに遠くない内容。斬新なアイディアで面白いとおもったけれど、下手な真似はやけどする可能性が高い、難しい余興だと思った。)、なんと、最後に新妻とマンダリン・オリエンタルのスゥイートの初夜を過ごす権利というのが出てきた。無論、これは新郎が自腹で落札するというのがオチだったため、東京都の条例に違反するような事態とはならなかったのだが、落札価格105万円は安いのか高いのか。そもそも、この場でこのオークションに参加し、会を盛り上げていた新郎の友人は本当にすばらしかった。私はボスもいたこともあり、参加できなかったが、参加してしまうと、あんまりあっさりと引いてしまっては新婦に失礼。(想像してみよ。1万5千円で、新郎に落札、と言われた新婦の心境。流石にそれは安かろう、ということになるのではないか。知らないが。。。)でも、どこまで行くのか。

オークション始まるときに、新郎も参加するという説明がなされており、新郎の原資は100万円ということが知らされていた。最初はなんのことかと思ったが、最後に新婦を落札しなければならないので、そのための原資だったというわけだ。原資の範囲内で終わっては面白くないということで、新郎の友人君は105万円まで値段を吊り上げたというわけだ。会の趣旨を良く理解したその彼のおかげでオークションの余興は盛り上がりのうちに終わった。サクラだったのかなぁ、と後でおもいつつも、MVPを上げたい心境にかられた。

こんなことを考えるのは野暮だとは思いつつも、きわどい余興だっただけに、度肝をぬかれたなぁとつくづく思った。

その他、会は沢山の厚い友情にあふれかえっており、新郎新婦の人徳と約束された幸せな将来を現しているようであった。(もしこれを読んでいたら、末永く、いつまでもお幸せに、と改めて言いたい。)
by danpeii | 2006-04-09 22:30 | 私的社会

藤田嗣治

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今日はバックデートエントリー。その後日経新聞の夕刊1面でも連載されることになった藤田嗣治の作品を生で見に行って来た。展覧会を見に行くのは嫌いではないけれど、これが実に相当な久しぶりの美術館見学。少なくとも帰国後初めて。日本の美術館の空気やらは間違いなく相当な久しぶり。

年度を何とか命ながらえながら越えることができて、何か気分を一新させなければならないと思い、電車の中吊り広告でみかけたこの展覧会に「行きたい」という、あまり自分の中で発生しない不思議な欲求を感じた。好奇心だったり、欲求だったり、なにかそうした内面の自発的な心の動きには動揺させらるが、そのメカニズムはさておき、それを久しぶりに感じたのであった。そんな訳で、どうして藤田なのか、あまり分かっていない。多分、どこかで名前だけ聞いたことがあったので、気になっただけのことだったのではないかと思う。何故、名前を聞いたことがあるのか、藤田とはなにものか、そんな好奇心が湧いたのかもしれない。

さて、作品。別に絵に詳しいわけではないので、絵を見てああだ、こうだと評論する能力はない。出来ないことをここでするつもりはないが、藤田展では、物凄いエネルギーを感じとり、一つ一つの作品から見るものに流れてくるその力が体中の血の流速を変えられてしまいそうな気がした、ことだけは書いておきたい(こんなに日が経ってしまっているが)。そして、作品を生み出す過程で作者が抱いた悩みと葛藤がこの美術展では良く伝わってくるような配置がなされていたせいか、藤田が生きた道程がまさに凄かったのだと思う。世界をぐるぐると彷徨うあたり、さまよった挙句祖国を捨てることにならざるを得ないあたり、何か今を生きる日本人につきつけるものもあったような気さえさせられた。

そして、藤田という人物について。さまよいつづけて名声を獲得した稀代の名士を、日本特有の村八分的閉鎖性が藤田を排除してしまったのではないか、そんなことを思ってみた。日本特有ではないとすれば、それはそれで何か世界をさまよった人に共通する現象ということに終始するのかもしれないが、私の中にあるものは、それは日本人だからではなく、個人の問題ということになり、自省させられる。他方、日本特有であるとすれば、当時も今もその風潮に大きな変化がないことに気付かされ、所与の文化的素質として現在を生きる上での困難について考えさせられ、また、自らにそうしたところがないか、自らのそうしたところによって才能ある人を遠ざけてしまっていることはないか、懐の深い/浅いについて思いを致される。どのような形であれ、藤田の芸術は藤田とともに日本という共同体の名声に寄与したことは多分間違いないだろう。本人は自覚はなくとも、共同体につくした人と言えるのではないか。こうした人を共同体のためにつくしたとみなせないならば、それがまさにここで書いている懐の浅さそのものということになろう。しかし共同体のために尽くす一方で、人は個人であること以上の意味はない。まさに自覚のない部分である。こうした自覚のない共同体への「結果としての」貢献と思うとき、何かそこはかと知れない葛藤した気持ちが胸にたぎるのである。藤田の作品は、胸をたぎらせる。

藤田展
by danpeii | 2006-04-02 22:48 | 個と社会

マイペース、お気楽、ノン・タイムリー日記
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